新年度を前に今日は、地方社会の担い手を考えてみます。仕事柄、大学に、身を置いて、学生、地域社会を見ていると、昭和のように若者が溢れる時代と違って、例えば、小さくなった炎を、消さないようにする為には、どうするべきか?、と言う事が課題に、なっています(一度消えるとなかなか復活できませんから)。
これって、県内自治体をみていると特に感じます。大学も生き残りをかけてアレコレと工夫をしているわけですが、そもそも、次の次世代だけで、不足する全職種を全てカバー出来るわけでないから悩ましいのです。
街おこしや経済活動の持続は、基本的に多様性ある社会である事を前提にならないと資本主義社会は維持しません。生物の多様性もまた、繋がる話です。
地域には、学校もいろいろあって、大学もいろいろありますが、無くなればいいとか言う声も耳にする事もありますが、限られた生き方の立場で見える価値観でしょうけど。そもそも、そこで仕事をしている人間にとっては、無くなる事を前提に仕事なんてしていないわけてです。
例えば、飲食店を経営している方は、店が無くなる前提で経験していますか?、していないでしょう。地域社会は、人が暮らしいる限りインフラや、行政サービス、社会保障サービスを残しておく必要性があります。それは、そこに人が生活しているから。地域が縮小していく事を横目に見ながらも、生活を持続できるための基盤は維持しないといけない課題は残り続けますから。これらを担うのが、実際には、人でしかないのです。
AIで何とかする言う声も聞きます。今後もAIの技術は進歩していきますが、少なくても私たちの生活を維持する為に補足的な役割を担えるか否かのレベルで考えているのが自然です。私たちの庶民生活レベルにAIが、ガッチリと入り込むまでまだ時間が必要な気がします。
仮に、首長、議員、経営者が、サーバーに入っている、AIに置き換わったら、またはAIが入ったアンドロイドロボットが溢れるようになると、人間のための人間社会でない社会で人間が生きる、そんな映画みたいな事が現実になるのかもしれません。さて、皆さんは人間としてどのように生き続けますか。